コラム「友情と尊敬」

第59回「アルゼンチン」 藤島 大

ジャパンの総括については、幾つかのメディアに書いたので、ここでは重複を避けたい。
JK、ジョン・カーワンは、トップリーグが代表する現在の日本ラグビーの潜在力をすくい上げてくれた。選手が指導者を信じていたから、チームに芯は通り、だからフィジー戦でSHを相次いで失っても、そこから追い上げられた。あれは「信」と「芯」がなくては不可能だ。

ただし本当の日本のラグビー、本物の速さと低さには届いていない。少し乱暴にとらえれば「トップリーグの地金のラグビーを情熱の指導者が束ねて」ぶつかったら、フィジーとカナダには通用したが、ワラビーズとウェールズには、あんなに歯を食いしばって奮闘しても、蹴散らされた。ここが現時点の日本ラグビーの実相である。

JKがチームをまとめ、闘争心に火をつけ、土台を仕込んだから「いまの方法では強豪には届かない」という現実は浮かんだ。ファンもジャーナリズムも「段階を踏めている。これでよい」とか「もっと素早い攻防を追求すべきだ」という議論をできるようになった。ここから先は、こんどこそ日本協会のレビュー能力が問われる。

さて大会の驚きは、トンガの南アフリカ戦大健闘、フィジーのウェールズ戦勝利、ポルトガルのはつらつとした感動、そしてアルゼンチンの強さである。

アルゼンチン、ちょっと前までは、日本の仲間と思っていたら、ずいぶん遠くへ行ってしまった。もはや実力は本物だ。スコア以上の完勝のアイルランド戦では、今大会のスターもアルゼンチン人に決まった。

ファン・マルティン・エルナンデス。25歳のスタンドオフだ。

高く舞うハイパントは魔術的ですらある。おそるべき高さ、降下時にはボールが枯葉のように変化する。パントには、攻守が入れ替わり反撃をくらうリスクもともなうが、これなら危険はゼロに近い。裏へ繰り出すキックも多彩で、緩急自在だ。アイルランド戦は、右で2本、左で1本、サッカー選手のシュート練習みたいにDGを決めた。

アルゼンチンのラグビーは異質だ。異質だけれど複雑ではなく、きわめて簡潔である。

エルナンデスは王様の位置を保つ。いつでもタックルされない深さに立ち、魔法のキックを繰り出す。SOからCTBへ普通にパスを回すことは少ない。守る側からすると明らかにキックと読めるのだが、そのキックが前述のように普通ではない。

伝統的に強いスクラムを押す。モールの結束も固い。あとは近場をドスンドスンと攻める。それでキックまたキック。「アルゼンチンのラグビーはこれだ」という全体像がくっきりしているから、選手の動きに迷いがない。はつらつとしている。蹴る。追いかける。押す。当たる。タックルは低く強く、すかさず2人目の選手はボールに働きかける。

99年に就任、元同国代表のマルセロ・ロフレダ監督の手腕は確かだ。極端なほど明快なゲームプラン、その枠が揺るがぬからこそ細部の精度は追求され、選手の自由性も高まる。スタイルは違っても、そこにはジャパンのめざすべき道がある。

アルゼンチンの核、SHのアグスティン・ピチョットは言う(英国ガーディアン紙)。

「我々はロマンティックなチームなのです。パートタイムのコーチ、年間に国際試合はたったの5回。それなのに大会に存在を示せるのだから」

選手の雰囲気はリラックスしており、取材記者にも自然に接する。ある英国のジャーナリストは「そこには、あの高慢なプレス担当者がいない」と書いた。「自発的なコミュニケートや情熱はアマチュア時代に戻ったかのようだ」という記述もあった。

いいことずくめのプーマスだが、キック主体とはっきりしているため相手が「1点差でも勝てばよい」と焦点を絞って対策を練ればもつれる可能性はある。開幕戦のフランスは、どこか余裕で臨んでくれた。アイルランドは準々決勝進出へ4トライが必要だったのでバランスを崩して攻めるほかなかった。準々決勝でぶつかるスコットランドは、そもそもがPGによる1点差狙いのチームだ。気をつけたほうがよい。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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