第64回「間(ま)よ消えるな」
藤島 大
スーパー14における新ルールの実験は、それが目的でもあるのだが、あちこちで盛んな議論を呼んでいる。現時点では、必ずしも「賛同」ばかりではない。
オーストラリアは熱心な推進派と見なされている。ここは宿命として、国内で、13人制のラグビー・リーグ、メルボルンを中心に根強い人気のオーストラリアン・ルールズとの普及や人気での競争にさらされている。このあたりが南半球でもニュージーランドと南アフリカとは異なるところで、つまり常に「エンターテインメント」に対して貪欲である。
南アフリカでは、好調シャークスのディック・ミュア監督は肯定派ながら、いまだ否定的な空気も漂う。おなじみ元ワラビーズ監督、エディー・ジョーンズは「このルールはニュージーランドを利する」とメディアに対して繰り返している。そのココロは「パワー、スピード、スキルなど万事にバランスが求められるから」。アイランダー系を中心とするニュージーランドの潤沢な選手層とその資質を念頭においている。
北半球、ことにジャーナリズムには反対の意見が根強い。「懐疑的」と述べたほうがいいかもしれない。「ラグビーらしさが失われるのでは」という危惧である。
サンデー・タイムズの辛らつな名文家、スティーブン・ジョーンズ記者のコラムの書き出しはこうだ。
「気をつけろ。はじめ狼は遠吠えをしていた。いま気がつくとドアの前にいる」
賛否あるはずの新ルールが「なし崩し的」に「スポーツの実体を代表していないIRBのプロジェクト・グループによって推し進められる」ことへの警鐘である。5月1日のミーティングで「本年8月1日からヨーロッパのすべてのレベルでのシーズンを通した実験」が導入される見込みであるとして、その性急さに疑問の声を投げかけている。
オーストラリア協会のボス(チーフ・エグゼクティブ)、ジョン・オニールは、同国通信社の取材に対して「フランス、イタリア、スコットランドは新ルールに肯定的。イングランド、ウェールズが賛成に傾きつつありアイルランドは反対」という自身の希望的な見立てを述べている。いずれにせよワールドカップ前の2シーズンはルール変更が認められないことから、ここへきて動きは急になりつつある。
さて、スーパー14での試験的ルール、整理すれば、ふたつの解釈がある。
ひとつは、クルセイダースのロビー・ディーンズ監督の唱えるように「データではラグビーらしさは失われていない」という見方。「セットピースの数に大きな減少はなく、スクラムの重要性は変わらない。ボール確保のためのコンテストの回数、ボールの動く時間、トライ数は増えた」。悪いことなし、というわけだ。
これに対して、北半球には、現行ルールで行われている6ネーションズやハイネケン・カップがブームを呼び、多くの観客とテレビ視聴者に支持されている、という自負がある。「ラグビーは人工的な施術を必要としていない」という考え方だ。
前出のジョーンズ記者は書いている。「ラグビーは娯楽産業の出先機関ではない」
タイムズ紙によれば、熱戦つづきのハイネケン・カップ準々決勝の4試合で「フリーキックは計2回のみ」。しかし、同じ週末のスーパー14の6試合では「計78回」もあった。では、スーパー14のほうがおもしろかったのか。いや、「ハイネケン・カップこそ垂涎ものだ」(デビッド・ハンズ記者)。
スーパー14では、「ラックで手を使ってよし」と「モール崩してよし」の変更は採用されておらず、全貌はまだ不明である。そのうえで個人的感想を述べると、新ルールによる「考える間(ま)の消滅」が心配だ。
データではともかく、印象では、ラグビーがより身体的な方向へ進むような気がしてならない。
ラグビーという競技は、きわめて肉体的ながら、案外、「アスリート殺し」という要素を含んでいる。運動神経に優れたアスリートに居場所が簡単にありそうでない。日本国内でも強豪大学ラグビー部くらいの段階で「何のスポーツをやっても抜群」の者がレギュラーになれなかったりする。そのかわりに、タックルだけ強かったり、苦しいときにも考える力が衰えなかったり、ボールを持っていないときの集中力が切れない、というような多彩な資質に出番がめぐってくる。ここがおもしろいのである。
せわしなくプレーが連続してばかりいると、本能に近い身体能力の天下になりかねない。「間」があれば、そのつどの小さなコンテストでの「判断」の質も問われて、複層的な妙味は増す。ある程度の「退屈さ」を甘受できることによって生まれるラグビーの根源的な魅力である。
その観点からは、現行のルールでの「間」が最低限のようにも思えてくる。ここについては、さらなる実験の様子を見てから再考してみたい。
ただ日本のラグビー界としては、たとえば「モール崩してよし」は採用してほしいし、スクラムからのオフサイドライン5m後退については「世界一速いディフェンス」の妨げになるので反対、といった戦略が求められる。ルールと英語に精通して、交渉と説得にたけ、世界で友情を育めるような魅力的な人材は日本協会にいるのか。いないのであればリクルートすべきだ。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。