第87回「合同I(アイ)」
藤島 大
ひとりで何かをする人が好きだ。
マイナーなスポーツ、あるいはメジャーな競技でもマイナーな大会、たとえば社会人野球の春季大会なんかをネット裏にひとり観戦する初老の男性や若い女性の姿なんか見ると、なんとなく敬意というか親愛の情を抱いてしまう。崇高な感じがするのだ。
まして、ひとりでラグビーをする人、若者、その若い魂と遭遇すると、もういけない。
全面肯定のシンパシーが体内にわきあがる。
先日、尊敬すべき男、船木洋明を見た。
東京・二松学舎大学附属高校2年、ポジションはバックス全般。パスはまだまだだけれど走ると重心が安定していて力強い。たったひとりのラグビー部員である。都会の真ん中、九段にある伝統の私学でまさに歴史を絶やさぬよう奮闘する。
先の全国大会東京都予選では「合同I」の一員だった。都立北園高校、都立新宿高校とともにチームを組んだ。
2回戦を突破、3回戦でシード校の目黒学院とぶつかる3日前、縁あって板橋の北園高校グラウンドを訪ねた。
同校の宍戸亮太監督が「合同」という厳しい条件にも、しっかりチームをつくっているのはすぐにわかった。新宿の鎌田邦広監督とのコンビネーションもよくとれている。
そして練習開始からややあってフナキはやってきた。学校が離れているのでどうしても遅れるのだ。ひとりきりのウォームアップ、ストレッチングにすぐに北園の部員が付き合う。
最初、いい光景だなあと思ったが、同じチームなのだからあたりまえではある。
二松学舎の顧問、戸井田晃尚教諭は、校庭の狭い学校で、もう何年も何年も、部員が数名限りのラグビー部に付き添ってきた。ひとりぼっちの部員が負傷して合同の練習に参加できなくとも、スーツ姿で他校の校庭にじっと立っているのだと、関係者が教えてくれた。
合同Iは、ナンバー8の新井雄大主将を軸にフォワードが強そうだ。バックスもスタンドオフの大倉拓也らおもしろい個性が並ぶ。なによりラグビーに取り組む姿勢がよい。なんというか気高いのだ。
これは、案外、やるぞ。そう思って、しかし思い直した。仲よく、まとまっていて、まじめ、それだけでは強豪校との修羅場には通用しない。
人間だから、どうしても「自分の学校」と「そうでない学校」は違う。文化論めくけれど、まあ実感として、小さな共同体=母校にこそなじむ(国歌より校歌)日本人にとって「ひととき集まって、ただちに団結」は不得手な領域だろう。
全国大会優勝経験もある相手に「私たちは合同としては異例なほど団結している」では足らない。では本物のチームワークはどこからやってくるのか。
きっと自分である。自分自身。「自分がチームに対してできることを考え抜く」。「自分のできることをやりきる」。「自分の力で動かせないことには苛立たない」。この心が結果として合同チームを「チーム」にするはずだ。そう少しだけ話した。
試合当日には出張があった。北園の旧知のサッカー部監督から電話が入った。
「敗れる。でも後半は勝ち」。17対36。後半が14対12。
想像できた。挑む側が力をふりしぼり追い上げた。そこには感動がある。必ず、ある。
後日、ラグビー部の宍戸監督から連絡が入った。
「後半の最後の2トライで本当のひとつのチームになれました」
涙。惜別のみでなく、おそらくは悔しさもほとばしる涙ではなかったか。
目黒学院戦の前日、試験期間中の両都立高校は試合時間に合わせ午前中に練習できた。しかし午後から始めることになった。私学の二松学舎は通常の授業だからだ。
船木洋明は、まだメンバーに入っていない。それでも、大切な「ひとり」の部員がはじめから参加できないような時程は組まない。
「ひとり」は「みんな」とつながる。「ひとり」の責任を果たすと、それが「みんな」の感動を呼ぶ。そういうことなのだと思う。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。