第98回「95失点」
藤島 大
0―95。関東学院大学が早稲田大学に15トライを失い、あわや100点ゲームの大敗を喫した。完敗。惨敗。どれも当てはまる。第1回の関東大学春季大会、これまでなら調整・鍛錬期の公式戦なので、勝敗にさしたる意味はなさそうだが、さすがにここまで打ちのめされては衝撃は残る。試合後、敵地・上井草の芝の円陣は長くほどけなかった。
春口廣部長がかすれた声でささやくように話す。ここはチームづくりで大事な場面だ。再起、躍進のための「原点」としなくてはならない。この屈辱をエネルギーの源泉とするのだ。
なんとか外から聴き取ろうと試みたが難しい。ただレギュラー組のそれを終えて、控え部員を集めての言葉にこんな一節があって、そこだけは、はっきりわかった。
「なんでフォワードがボールをとれないのか。考えてみろ。バックスが前に出ないからだ」
なんてことのない言い回し。誰でも口にしそうである。いや実際にしているだろう。それなのに、なぜか「盗み聞き」の身にスッと入ってきた。
そうなのだ。ラグビーとはそういうものなのだ。セットプレーからおそれずに攻撃を仕掛ける。うしろへ逃げず、安易にかわさず、まず前へ。すると次のボールも獲得できる。素早い球出しができればさらに前へ出られる。あとはタックルして、必要ならばキックを蹴り入れ、それをまじめに追いかければよい。
前へ出たらボールはとれる。それがラグビーだ。
この試合の前日(4月28日)、ニュージーランドのかつての名コーチが92歳で天へと召された。
サー・フレッド・アレン。オールブラックスのスタンドオフ(ファースト・ファイブエイス)として6テスト、15ゲームに出場、そのすべてにキャプテンを務めた。1966年から68年には同代表監督を務め、14度のテストマッチに全勝を遂げている。文句なしの戦績のわりに任期が短いのは、オーストラリア遠征で、随行ジャーナリストをテストマッチ直前のトークの場に招き入れたことを協会幹部が快く思わなかったせいとされる。
アレンの言葉はよく残されている。「複雑を簡潔に」もそのひとつ。それこそがコーチングの要諦なのだ。今回の死に際してのニュージーランド・ヘラルド紙のウィン・グレイ記者による追悼記事にはこうあった。
「彼は言う。ゲームとはシンプルなものだ。選手がフィットしていて、みずからの役割りを理解し、ボールを正しく使いさえすれば、すでに勝利の道を歩んでいる」
元オールブラックス監督の思考というところが焦点だろう。頑健で、俊敏で、競争を勝ち抜いてきた優れた資質の者たちが、簡潔なイメージで戦うと、さらに強い。
思えば、関東学院の黄金期もそうだった。あのラグビーは一言で表せた。
「フォワードで崩してバックスで仕留め切る」
部内競争に生き残るために優れた先輩の技術(ことにターンオーバー能力)を盗んだ8人は、長身ロックを軸にサイズに恵まれ、強い個人がまず前へ出て、そこからミスの発生しにくい深さを保った角度のラインで俊足ぞろいがトライを奪う。あまり難しいことはしないが、力攻め一辺倒という偏りもなかった。
そのチームをつくった春口部長が、今回の敗北に「バックスで前へ出ないからボールがとれない」と話したのは興味深い。確かに、ジャージィの色は同じでも、あのころと比べたら全般に小さく軽く、たぶん速くもない。さまざまな経緯で以前のような人材はなかなか集まらないのが現実だ。「フォワードで崩して」は簡単ではあるまい。
昨年度の関東学院は、しぶといモール、自陣からの全方位展開というふたつの強みに特化して、楽でなかったはずのリーグ戦を3位で乗り越え、大学選手権では、早稲田を破った。まさに「一発勝負」の醍醐味。焦点を絞った見事な番狂わせだった。
新しいシーズン、さらに戦力は薄く、それがスコアにも反映された。「まずバックスで前へ出る」方法の完成には時間を要する。一般に展開型のチームは春は弱い。秋がうんと深まるころになんとかなってくる。
いつかの巨人が、いま、円陣に肩をすぼめて訓示を与えられる。勝負は厳しい。ただしクラブとして頂上体験があるのは財産だ。何を捨て、何にかけるのか。ここからの1分1秒が浮き沈みの分岐点のどちらに立つかを決める。
フレッド・アレンは、従軍体験で2度負傷し、そのさなかに次の成功の秘訣を見つけた。
「厳しさからこそ修養の心は得られるのだ」
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。