コラム「友情と尊敬」

第102回「サインプレーの忘却」 藤島 大

複数の賢者が時期を違えて同じ内容を話した。

まず、以下敬称略で、クリス・ミルステッド。現在は近畿大学コーチである。イングランド出身、ラグビーのキャリアはニュージーランドで磨いた。端正な日本語を話す。かつて豊田自動織機の潤沢とはいえぬ戦力を率いてトップリーグ昇格に肉薄した。京都産業大学の攻防指導の多くを任された時には、最後の国立競技場登場(大学選手権ベスト4入り)に導いている。手腕は確かだ。

この知る人ぞ知る腕利きコーチは、2005年、京産大コーチのころ、本稿筆者のインタビューに言った。

「日本の選手はがまん強い。まじめ。スキルも高い。うまいですよ。ただ感じるのは、ニュージーランドの選手はサインプレーをいちど覚えたら、もう練習しなくても試合で使える。日本の選手はその試合の1週間前の練習でもういちど繰り返さないと使えない。なぜだかわからないけどそう」

エディー・ジョーンズ。現在の日本代表監督も、本年2月、同様の見解をやはり筆者に述べている。

「日本人の修正能力は高い。正しいトレーニングをすれば短期に改善します。その反面、練習の強度が落ちると、あっけなく元へ戻ってしまう。ここがオーストラリア人と非常に異なるところです。だから日本の選手には常にハードなトレーニングを課す必要がある」

さらにはチャールズ・ロウ。いま流通経済大学のコーチを務める。かつて南アフリカの強豪であるクワズールーナタール地区でおもに若手育成に関わり多くの代表選手を育て上げた。その前はキヤノンの指導陣のひとりだった。日本の古武道の熱心な愛好家でもある。08年の11月、早稲田大学との交流により来日、同校で数日間のセッションを行った。その際、『ラグビーマガジン』のインタビューに次の主旨を語っている。

「日本人のいいところは、まず型をつくろうとするところだ。だから吸収は速い。ただし、その弱点は型を超えられないことだ。南アフリカの選手は、型は自分の中にあると信じていて、それを教えても学ぼうとはしない。誰もが自分こそは最高と信じてプレーをする。だから習得に時間がかかる。ただ出来上がった時には完全に自分のものになっているので力を発揮できる」

総じて事実なのだと思う。バックスがサインプレーの練習をする。最初はコーチにランのコースやパスの角度を教わる。仮に前出の3人の母国の選手は、その型を自分自身の内面でとらえる。俺は、私は、このプレーをこのように行うのだ、と。いわば「自分が型となる」。疑問が生じても、自分の内面で解決を図る。

他方、日本の選手は、コーチが、チームが、要求した「型という型」として受け留める。自分のまわりの「小さな共同体=会社や学校のチーム」の内側の「世間」に無防備に従う。仮に疑問を覚えたら、こんどは従わない。実は、コーチの指示にグラウンドで選手が疑義を表明するようなことはイングランドでもニュージーランドでもオーストラリアでも南アフリカでも起こらない。あくまでも「ボスはボス」だ。日本のほうが小さな共同体の中で「子が親に逆らうような態度」をとりがちだ。それは麗しい甘えと解釈できなくもない。向こうの連中は、個人が先にあって、スポーツや戦争の場合のみ、ひとときの集団を構成する。集団は、日常と切り離される。日本の場合、スポーツの集団もどこかで日常と結びついている。

と上記のような文化論に浸ると、実は、危ない。どこの国の選手であれ、ひとりひとり個性は異なる。それが大前提だ。おそろしく周囲の視線を気にして自己主張と無縁のフランス人だって、どこかにいるだろう(希少ではあろうが)。

ただ、ここに紹介したような一級のコーチが、日本のグラウンドで実感した「なぜかサインプレーの動きを忘れてしまう」という事実に思い込みの要素は少ないはずだ。総じて、その通りなのである。問題はその先にある。「日本の選手も自分の中に型を持て」。そう指導するのも間違いではない。いっぽうで「型に従順だからこそ吸収も速い」という特質をあえていかしてチームづくりをするのも正しい。「日本の選手はこうだから」と否定するのでなく「そういう日本の選手の集まるチームでも勝てる方法」を熟慮するのもコーチの務めだ。

ここで、またもや寛容と想像力は問われる。いずれの道を採るにせよ、そこにいる選手の根源、つまり、その人らしさを肯定的につかまえなくては、潜在力も発揮されない。その意味において、コーチは絶対に優しくなければならないのだ。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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