コラム「友情と尊敬」

第112回「普通という布石」 藤島 大

日本サッカーの伝説のストライカー、釜本邦茂さんは、現役時代、自身の「2世」と評判の若手選手の試合ぶりを凝視しながら、横にいた先輩につぶやいた。

「あれは、おまへん。なんでもかんでもシュートしようとする」

その先輩、メキシコ五輪主将の故・八重樫茂生さんをインタビューした際に教えてくれた。世界のカマモトは、個人練習で培った絶対のゴールの型を持っていた。自分の欲しいタイミングとスペースを明確に思い描き、そこから逆算して動いて、焦らず「決定機」の到来を待った。だから、むやみにシュートを狙う後進の限界を素早く見抜いた。

神戸製鋼の13番、ジャック・フーリーの動きを追うと、あの逸話をつい思い浮かべる。あらためて南アフリカ代表スプリングボクスの誇る地球規模の名手。いや「名手」とするには、あまりにも身体能力が高く、もっと身も蓋もなく「才能」と書きたくなる。身長190㎝、体重は105㎏という十全なサイズ。昔のF1カーのボディーを想起させる尻。しなやかに伸びる長い脚。ぐらつくところ皆無の頭部。抜いて、走り切り、当たり、ずらし、つなぎ、長いパスも短いパスも同じように柔らかく放る。つまり、なんでもできる。なんでもできるからこそ悠然と構える。

フーリーは、まっすぐ走ってボールをもらい、自分よりスペースに余裕のある仲間を見つけると、実に簡単にパスを送る。どこか淡々とした感じさえする。その気になって強引に走れば必ずゲインはする。ただし、すぐにはそうしない。普通に、普通に、普通にプレーを続ける。そして、たとえば、相手のフロントローが体の大きい分、防御のポジショニングに難があるというような現象を観察、察知しておく。試合の勝負どころ、ここぞの好機、いきなり防御役のフロントローの列が揃わぬショートサイドへ移動、ここでは激しく突破を図る。なにしろ世界最高級のランナーなのだから多くはトライ、もしくはトライ寸前の結末をもたらす。決め切るための布石が、そこまで繰り返してきた当たり前の走路とパスなのである。

昔、1980年代の日本代表CTB、吉野俊郎さん(サントリー)が、試合中の駆け引きについて明かした。いわく「試合の最初のほうで、抜くべきところがわかる。簡単に説明すれば、相手のFWとBKが譲り合うところ。でも、すぐ抜きにいってはいけない。ずっと普通にプレーをする。そしてスコア、時間、陣地において最も適切なタイミングで初めてそこを抜く」。現在のルールのもとでは、そのころよりも、めまぐるしくフェイズが重なるので、布石の発想は薄れつつあるようにも映るのだが、どうして、ジャック・フーリーの試合運びには「昔の賢者の知恵」の気配も濃厚だ。圧倒的身体能力の所有者は、芝の上のチェスも上手なのである。

先日、パナソニックの中嶋則文監督が、自チームのべリック・バーンズやサントリーのジョージ・スミスなど外国人の超一流について、こんなふうに解説してくれた。

「たとえばディフェンスの場面では、こういう場合には相手はここを攻めてくる、という最初の読みだけでなく、その次の選択、別のプレーまで予測する力があります」

フーリーが仕掛ける突然のランを止めるとしたら、やはり、目の前の現象だけにとらわれぬ、このクラスの選手ということなのかもしれない。現代ラグビーではコーチングの範囲がどんどん肥大する。しかし際立つ個性、フーリー、バーンズ、スミス級は、与えられるだけでなく、おのれから考え抜く。日本列島の無名の若者たちよ、身体能力でこの人たちに並ぶのは難しいかもしれない。でも、もうひとつの「考え抜く」側の斜面から迫る手ならある。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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