第113回「地響き」
藤島 大
地響きを立てろ。高校と大学、計12年間のコーチ時代、よく部員にそう言った。「地響きの立つような練習しろ」と。それは具体的な練習の強度の意味であり、また、取り組む姿勢、心構えの問題でもある。よいチームのグラウンドには地響きが立つ。
もうひとつ。これは東京都立国立高校ラグビー部の指導経験から、校庭の練習に迫力があると、そんな熱気を察知した他の運動部の「心の逸材」が吸い寄せられてくるのである。たとえば以下のごとく。当時、ゴールポストの裏にテニスコートがあった。1991年、新入生の春、つまり、ちょうどいまごろ、金網の内側でもっぱら球拾いをしていた少年は、実におっかない顔をした監督に走らされる泥まみれのラグビー部員のスパイクの音を聞いた。聞いてしまった。
テニス部員、朝倉政孝は思った。思ってしまった。「かっこいいぞ」。かくして辛抱強く足腰のなかなか丈夫なラグビー人が誕生した。
その5年後の3月、沖縄県の名護高校の体育館の外の男子トイレにひとりの元気なバスケットボール部員がいた。大雨の日だった。小用を足していると窓の外に雄たけびを聞いた。聞いてしまった。まっすぐ視線を伸ばすと、ラグビー部員たちが鈍くて鋭い音とともにタックル用ダミーを次々と倒していく。
もうすぐ2年生になる喜瀬直彦は思った。思ってしまった。「俺はあっちへ行きたい」。そのころは劇画などの影響でバスケット人気が高かった。部員が多いのでこちらもボール拾いばかりだ。翌日、ラグビー部へ。せっかく小遣いで流行のシューズを手に入れた直後なのは惜しかったが、決断はちっとも惜しくなかった。素敵なナンバー8はここに出現する。流通経済大学へ進むとバックスに転向、2年でレギュラーの座をつかみ、観衆2万強と発表された秩父宮ラグビー場を疾走する。その15年後、とある会合で当人は明かした。「あの日、雨が降っていなかったら自分はラグビーをしていなかったかもしれない」。南国の北部を襲った豪雨、そしてラグビー部員の地響きに感謝だ。
一部の強豪を除けば、全国の多くのチームは部員難にあえいでいる。現場での解決法はふたつ。「どうすれば入部してくれるか」を普通に考えるのではなく、深く深く考える。可能な範囲であらゆる手を打つ。新入学の男子生徒全員を個別に唾飛ばす調子で説得した指導者を知っている。そこまで分母が大きければ何人かは入る。もうひとつはグラウンドの活気を見せつけることだ。タッタッではなくダダッダダッと走る。ポンではなくギュッと土を蹴る。そうすれば体育館のそばのトイレの中から有志が駆け寄ってくる。
ラグビーには根源的な魅力がある。現状のスポーツにどこかで満足できぬ若者の血潮を引きつける磁力を有している。「ボールを手に持って自由に走り体をぶつけ合う」ことを許される競技は実はまれだ。男の子でも女の子でもいざ始めればおもしろいのである。どうか部員勧誘をあきらめないでほしい。
最後に。早稲田大学の練習に長く通った老ファンが、その昔の充実していたシーズンをこう表現したことがある。「あのころはベンチにいて小さな声で話すとそれが聞こえそうだった」。よいチームは地響きを立てる。そして、よいチームは静かだ。緊張感と集中力がグラウンドを覆うからである。ひとつの静を破るひとつの束と化した動。よいラグビーの定義かもしれない。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。