コラム「友情と尊敬」

第114回「スパイクの話」 藤島 大

気のせいかな。もとより統計を得たわけではない。なんとなく最近、ジェイ・スポーツの解説をしていると、よく選手が転ぶ、といってもタックルされた結果ではなく、芝に足を滑らせて倒れたりバランスを崩す例が多いように映る。

もともとのピッチの状態や雨など理由は見つかるのだが、シューズの選択が悪いのではないか、とも思う。関係ないが、ラグビーやサッカーに関する文章を書くに際して、シューズをどう記すかよく迷う。「スパイク」はもはや死語か。そうでもないか。どちらにせよ、ちよっと古い気がする。英語圏では「ブーツ」。だから「スーパー・ブーツ」とは、キック、それもおもにプレースキックの名手をさす。いずれにしても、シューズのスタッド、その長さや材質の選択をたぶん間違えて、しっかり下半身を鍛えているはずのプロフェッショナルでも実によく転ぶ。

かつてワラビーズの不動の9番、ジョージ・グレーガンは、サントリー在籍中、日本ラグビー界の誇るプロの中のプロ、小野澤宏時(現・キヤノン)に、世界のプロの頂点を知る者の教えを態度で授けた。3年前、本稿筆者のインタビューにジャパンの柔らかくて強い11番はこう語っている。

「ジョージ(グレーガン)さんに年齢を経たプレーヤーの心構えを教えてもらったのは大きかった。(それは)自分で動かせる範囲の不確定要素を消すということです。ラグビーの試合なら他者がいるので不確定な要素はある。でもグラウンド外の自分に決定権のあるところなら消せる。天候の急変やトラブルに備えてスパイクを3足持っていく。軽い傷は自分で治せるように消毒液からガーゼまで持参する。簡単にトレーナーを呼ばない。自分でここまで対処してきた。あとはここだけだから処置してくれ。そういう感じなんです。まず自分が行動する。気持ちのよいものを見せてもらったたなあと」(『ナンバー』誌)

グレーガンは、安易にトレーナーの助けを借りない。足なら足、もし痛むのなら、まずは自分自身で万全の処置を施してみる。ここのところ、大学生でも、あっ、すみません、と軽くトレーナーを頼ってはいないか。もしかしたら高校生でも。そしてシューズ。小野澤は以下次の内容を教えてくれた。

「(グレーガンは)天気予報でまず晴れとわかっていても、小雨用だけでなく、大雨用の1足も念のためにバッグに詰める」。爪切り、救急セットも忘れない。あらためて「自分に決定権のあるところ、自分で動かせる範囲の不確定要素なら自分で消せる」という言葉は重く鋭い。

そういえば、サッカーのメキシコ五輪銅メダル監督、長沼健さん(故人)が、日本のオールタイムベストのストライカー、釜本邦茂について、同じように話すのを聞いたことがあった。 「あいつはアマチュアの時代に、ひとりプロのように、体重をグラム単位まで管理していた。試合用のバッグの中なんか見事でね、ひとつずつの用具が予備のものまで完璧にそろえられていた」。あのライオンのような、仁王像のような偉丈夫も、やはりグレーガンや小野澤と同じく、不確定要素を消しにかったのである。

後輩に私用を命ずる。個人的に嫌悪する。たまたま在籍した大学のラグビー部にその体質がなかったので、なんとか続けられたのは幸運だった。自分のことは自分でする。へたをすると、ありふれた人生訓ととらえられるが、やはり正しい。スポーツ、いや勝負の場では、自分のことを安易に弱い立場の人間に委ねる者はきっと敗北する。もしそれでも勝てた、と主張するなら、それは自分の属したクラブやチームが相対的に恵まれていただけだ。どうせ、あとで負ける。人生のピッチで足を滑らせるのだ。

さて、恥ずかしいけれど、こんな夢をたまに見る。精神分析学的には、大学でレギュラーになれなかった後悔のせいだろう。ついに大事な公式戦に選ばれる。キックオフ前、ロッカー室で、スパイクの紐を結ぶと、いきり切れる。また切れる。ぶちぶちと切れる。あーっ。ここで目が覚める。現役のみなさん、晴れても降っても、あふれても、泥濘にも、何が起きても対応できるシューズをそろえてください。仕送りを、アルバイトの報酬を、ボーナスを、費やすに値する。紐も、いや紐だけは、ぜひ新品を。

以下、いま思い出した笑い話。学生時代、本当に気のよい、少し不器用なフッカーの先輩がいた。練習中、その先輩にリーダー格の選手の指示の声が飛ぶ。「おい、ポイントどこだ」。スクラムからのコンビネーションの起点を示せ、という意味だ。しかし、なぜか動転した人は答えた。「ポイント1本足りません」。足を浮かせて自分スパイクの底を見る姿はカカシみたいだった。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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