第118回「牧歌的!」
藤島 大
上には上がいる。入学の季節とは「上には上がいるものだなあ」と知る季節でもある。先日、高校ラグビー時代の教え子に以下の逸話を聞いて、なんとなく楽しい気持ちになった。
その高校は地域で勉強の得意な生徒が集まる。現在、東京都内で、米国産のやけにコクのあるビールを供する小さな酒場を営む男もそうだった。隣の市の公立中学では学業トップ級。ところが、最初の国語の授業、教師の話がさっぱり理解できない。学級の半分くらいは自分と同じ戸惑いを純粋な目にたたえていた。ところがもう半分はそこはかとなくうなずいている。さっそく「淘汰」ってやつは始まったのか。教師がみんなに質問した。もはや何の話だったかは思い出せない。のちの腕利きの「ビール注ぎ」の手はもちろん挙がらない。挙がるはずもなかった。ところが、ほど近くの席のひとりの男子がスッと腕を天井へ差し上げた。指される。答えだけは覚えている。
「牧歌的」
正解だった。カウンターの向こうで自慢のニューヨーク式ハンバーガーをこしらえながら元ラグビー部員は言った。「牧歌的ですよ。そんな言葉、この前までの中学生は知りませんよ。ああ、びっくりした」。牧歌的と低い声で答えてみせた生徒とは、後日、ラグビー部入部の行動をともにすることになる。
上には上がいた。しかし、それは何もかも自分が「下」というわけではなかった。ラグビーなら、ミスター牧歌的(以下、牧歌くん)よりは、少々、活躍ができた。牧歌くんは、運動能力はそんなでもなかったのである。いや身体活動は不得手と決めつけてもよい。でも当時の都立高校では、入学に際して中学の成績評定が重視された。それなりに体育もよくないと入学は難しいはずだ。ラグビーの得意でない牧歌くんは、実は、高校の体育では好成績を得ていた。なぜ? 秘訣があった。
「あいつ、体育の予習をするんですよ。俺、体育の予習するやつ初めて知りました。」
ハンドボールの授業。実技では目立たない。誰か審判をできるやつはいるか? 体育教師が聞く。はい! 例の腕がまた挙がった。なんと競技規則を覚えているのだ。反則のシグナルの形まで。
勉強における「上には上」を知った。体育予習の凄みにも驚いた。ただしグラウンドにはグラウンドの知性が求められた。息が苦しくとも的確な判断をする。イライラしても仲間を責めない。退屈な反復の先に「よいこと」があると想像できる。決め事をしっかり守りながら、ここは勝負と感じたら、おのれの野生に従う。どれも机の上とは異なる知性的行動だ。
牧歌的の意味を理解できなかった少年は、後年、たまたま採用された飲食ビジネスに才覚を発揮、ニューヨークのレストランでマネジャー経験を積んだ。今夜もカラカラと笑いながら「グラウンドの知性」を存分に発揮している。
では牧歌くんは、ラグビーでは「下」だったのか。違った。レギュラーにはなれなかった。戦術的交替の認められぬ時代だから、ほとんど公式戦ジャージィを身につける機会も訪れない。それなのに3年の春、大学受験に備えて「引退」か「継続」か迷う同期にあって、まっさきに「最後まで部に残る」宣言をした。仲間のひとりが理由を聞いたら即答した。
「やめる理由がない」
見事だ。ひとつの楕円球を追った者たちには、上も下も本当はなかった。4月。ラグビーの部室の前でたたずむ君よ、どうか扉を引いて、湿った汗の臭いのする「人生の教室」の一員となってください。そこには上が下で下が上のさまざまな能力、感受性が肩を組みながらこんがらがっている。自分は自分のままに自分を鍛え抜けばよいとわかる。幸福だ。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。