第149回「叱るより、ささやけ。」
藤島 大
競泳の名コーチが雲の上のプールへ昇った。享年100。4月、昨年11月の死が大阪水泳協会などにより明らかとされた。
奥田精一郎。イトマンスイミングスクールの元名誉会長である。筆者はスポーツ総合誌の取材で出会い、この人の話を書籍として残すべきだと考えて、2004年、『叱るより、ささやけ』(新潮社)という聞き書きの一冊にまとめた。
大阪の造り酒屋の息子で、茨木中学(現・高校)を経て、戦前の早稲田大学の水球選手だった。死がたちまち襲う戦場より復員、戦後、水泳の指導にまさに人生をかけた。1972年のミュンヘン五輪の金メダリスト、青木まゆみ、04年のアテネ五輪で銀メダルの山本貴司ら多くの一流スイマーを育て、他方、近所から通う普通の「子どもさん」にも愛情を注いだ。
以下、ラグビー指導にも参考となる語録を記したい。
膨大な数の教え子について。
「何年やっても、顔も性格も違うのばっかりや。似たのおりませんで。全部、違う。それが人間やろう思うね」
ひとりずつと向き合う。やめようとする子どもにも「それぞれの理由がある。その兆候に気づき愛情を傾け加勢するんや」。
勉強が不得手そうな子どもがいる。
「ダメなコーチは勉強が苦手そうということにも気づかない。並のコーチは、あの子は勉強できないな、で終わる。いいコーチは、どうして勉強が嫌いなのか、でも賢いところもあるな、というふうに考えを進めていく。本当にいいコーチは、この勉強が嫌いなところを利用して強くしようと考える」
12年のロンドン五輪銀メダリスト、入江陵介が中学生のころ。
「彼は秀才君です。大阪でも何番の進学校に通るらしい。自分で集中する日をさっさと決めて自分でコントロールしよる。したがってコーチ連中も彼が賢いということはわかっとる。しかし『彼はこわい子や』というのはわからんな。僕だけや、気づいとるのは。大変に強い芯を持っとる」
慣習こそ敵。「あてがいぶちで、右へならえしとるようではあかんねん」。練習法も「個性こそ人間性」という視点で細かく工夫する。
一例で、隣り合うコースの先頭に同種目の選手を並べない。背泳ぎとバタフライというふうに変化をつける。同種目だとその時点でどちらが速いかという序列に従って「妥協型の選手になってしまう」。しかし異なる種目の者がすぐ横だと「嫉妬もなく思う存分泳ぐ」。
勝ち気な子どもに先頭ばかり泳がせるのもよくない。「気弱君をあえて先頭にする」。ふたりの実力差は本当はさしてない。性格のもたらす記録の違いがあるだけだ。「強気君」は「なんで俺が二番手なのか」と不満を口にする。すぐに隣のコースの先頭に戻す。そうしながら「気弱君を大事にして、よく鍛え、記録を逆転させてしまう」。すると強気君もまた発奮する。
記録のサバも読む。「内緒ですが0.2秒ほどごまかすことがある」。そして、ほめて、ほめて、またほめる。「すごいな。大ベストやな」。鉛筆半ダースを「褒美」に贈る。「それだけで子どもはものすごく変わる。0.2秒くらいすぐ速くなってしまうんや」。
「意欲が先ではありません。感動があってこそ意欲もわいてくる。感動すると子どもは絶対伸びます。コーチは感動の瞬間を見逃さない。ここというタイミングを過ぎてしまえば、いくらほめても効果はありません。あんまりほめると甘えるんやないか。間違いや。それより、多くの指導者がほめ言葉を知らないことが問題ですね」
叱らない。「手をあげたことはいっぺんもない」。耳元で「こうしたら勝てるよ」とささやく。「まず自分の魅力を見せつけるんです」。本人の気づいていないポイントは注意する。でも「馬鹿たれ」といった荒れた言葉は「絶対に使わない」。
情熱なくしてコーチングなし。
「打算を超越する。欲も得もなく、目の前におる存在のために汗をかいてやろうという人間でないと子どもさんは一瞬で見抜きますよ。情熱が伝わって初めてコーチを信頼するんです。お盆の最中でも、思わず重いカバンを持って、子どもの合宿にはせ参じる。そんな打算を超越できる能力は、大学院でいくら理論を勉強したところで身につかない」
走る。
「よそのコーチが2回叱る。僕は10回プールサイドを走る。子どもさんが向こうについて顔を上げたら、そこにはおっちゃんがおる。『君がどうでもいい存在やったら、おっちゃん、ここまで汗みどろになってプールサイドを走らんぞ』。子どもさん、びっくりして聞きますよ。そして何かが変わる。燃えてくるんです」
腕を組むな。
「現場の指導者たる者が高いところから腕組んで、ぶすっとした顔で眺めとったらあかんねん。スニーカーを履きつぶす勢いで、安もんのシャツ着て、若い連中と一緒にプールサイドを動き回らんと」
理論と非科学。
「僕は理論屋ですよ。まず泳法ありき。ハードな鍛錬には頼りません。しかし理論屋やけども、必ずしも合理的、科学的ではない。研究室のコンピュータに張りついて海外の理論ばかり追うようなコーチはあかんねん。もっと野性的な勝負や。文章や言葉で表現できない世界を僕は知っとんねん。祈りや信念が現実に生かされる世界というやつを。レース開始まで5分切ったら、宗教との中間をいってネジを巻くんやから。ラグビーで円陣組んでてワーッといくでしょう。『俺たちは早稲田や。いくでー』。あれと同じや」
古びた感動は不要。未来の感動を。
「選手を育てる。それは未来を信じることでもある。元スター選手がどうも一流の指導者になれないとしたら、そこにいる人間より自分の過去が優先されてしまうところですね」
おもに04年、イトマンスイミングスクールの大阪本部に通って自分で言葉を録音したのに、あらためて活字にすると「よきコーチがここにいる」という新たな感慨にくるまれる。
02年某日の初対面、82歳、同スクール奥田精一郎名誉会長は、水泳ならぬラグビーの早稲田大学のレギュラーをすらすらと口にした。名前ばかりか出身校まで把握している。母校のスポーツにやはり関心があるのかと思ったら、別の機会には「同じ大学でも秀才もおればそうでない者もおる。早稲田水泳部のOB名簿を見ても、そうそうは社会を大きく変革するような大物は出てませんわ。人間を学校で判断してはいけません」。
机の上には競泳の盛んなオーストラリアより取り寄せた新聞が積まれていた。世界の潮流をそんなふうに追いかける。ただし鵜呑みにはしない。同国の英雄、イアン・ソープについては次のように語った。
「ほとんど欠点がない。また欠点を指摘されていないから消極性はまったくないんや。だから日本人は練習法をまねできない。体格もメンタルも違うんやから」
模倣をいましめる。「コーチにモノマネちゃんが多い。自分自身で、自分の頭で開発した技術や方法はほとんど見当たらない」。100歳まで生きた人の84歳のときの発言はたとえば28歳のラグビーのコーチにとっても貴重なヒントとなりうる。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。