第6回「想像力とユーモアの笛を」
藤島 大
第2回のコラムにレフェリングをめぐる「尊敬」について記した。
もちろん選手はレフェリーを、そしてレフェリーはたとえ少年少女の試合であろうとも選手を尊敬すべきだ。
まずは、そのことを再確認しておきたい。
暮れから正月にかけて大阪の花園ラグビー場にいた。
Jスカイスポーツの解説をしたので朝から試合終了まで3ヵ所のグラウンドをあちこち歩いた。ずばり、こう思った。
「レフェリーがおかしい」
断じてしまえば、総じて審判技術が不足している。いや技術ではなく、そもそもラグビーという競技におけるレフェリーとは何か。その根本がはっきりしていないか、ぶれているか、誤っている。
花園のメインスタンドの下にレフェリーの控室がある。
ときめきと不安の交錯する高校生の横で、各地方からやってきた全国的には名もない若きレフェリーたちも少し緊張している。
そこには、なんの「いやらしさ」もありはしない。
通りすがりのスポーツライターでも、思わず「よろしくお願いします」と声をかけたくなる。
妻にうらまれ、子供には悲しまれ、せっかくの日曜、朝から砂埃のグラウンドに立っては、ほとんど注目されない高校生の地方大会1回戦の笛を吹く。
こういう人たちが日本のラグビーの大切な部分を支えている。間違いのない事実だ。
だから個人攻撃をする気はないし、そんな資格もない。
ただ花園での各試合、正直、レフェリーの技術やルール理解に格差はあった。つまり、層は薄い。
そして前述のとおり、技術よりも「ラグビーのレフェリングはどうあるべきか」の哲学と美学が決定的に欠けている。こちらが本当の問題だ。
ラグビーのルールの根底には「慣習法」の精神がある。
人間の行動が先にあって、それに応じてルールが築かれる。融通がきく。杓子定規はふさわしくない。そもそも1チーム15人もの競技で、手足を用いることができて、ぶつかり合いも許される。とても機械で測るように白黒はつけられない。
スクラムをいずれのチームが落としたか。真実はお互いのフッカーにしかわかるまい。
卒業や引退をして、何十年後、どこかのパーティーでふたりが会ったら、どちらかが、「あのときは申し訳ない」と明かす。そんな世界だ。
劣勢だから落とす。それは半面の事実に過ぎない。優勢だから落とせる。これも半分の真理なのだ。
たとえば身長1㍍90の左プロップと1㍍65の右プロップが組み合って、どちらの高さに合わせるのか。「低くて危ない」と小さい側を大きな側の基準に組ませることは、果たして公正の観点からして正しいのか。正解はない。
つまり選手が紳士(淑女)であることを前提に、レフェリーの良識と見識に判定はゆだねられる。だから、だからこそ、レフェリーはラグビーを愛してほしい。ルールブックではなく、ラグビーのゲームとラグビーのプレイヤーを。
相手のノッコン。それを拾い、自陣深くから攻める。うまく穴が見つからない。やむなく裏へ蹴る。まったくチャンスには結びつかず、むしろピンチ。なのに前へ球が進んだからアドバンテージが消される。そこから逆に失点。花園の大切な試合で実際にあった。
レフェリーが自分自身の良識と見識でなくルールブックの活字に従うゆえの悲劇だ。 各地域の駆け出しレフェリーは、つい減点法におびえる。
きちんと「7・3」に髪を整えると出世が早い。スパイクのメーカーがわからないようにラインを黒く塗り潰せば「上」のおぼえがめでたい。腕のあげかたの美しさがポイント。10年ほど前に現場で耳にした「証言」である。まんざら嘘でもなかったろう。
そんなことはどうでもいいのだ。極論すれば、ルールブックよりも井伏鱒二の小説を読み、小津安二郎の映画でもビデオ観賞して、人間のふるまいへの想像力とユーモアの感覚を身につければいい(余計なお世話ですが)。そのうえで毅然とふるまう。一線を超えれば即時の厳罰をいとわず、しかし、ゲームと選手の自由性をとことん尊重する。それでもチームやファンやメディアが文句をつけるなら、最高に柔和な笑顔で言ってやればいい。「お前、やってみろよ」と。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。