コラム「友情と尊敬」

第7回「敵にカツ」 藤島 大

 伝統の6ヶ国対抗を前に、フランス代表の強力な右プロップ、ピーター・ド・ビリエがコカインとエクスタシィーというドラッグ使用の疑いで、開幕のイングランド戦メンバーから外された。本人は潔白を主張、試合後にナイトクラブで仲間と酒を楽しんだ際、なんらかの方法で「摂取してしまった」可能性も指摘されている。

 世間では「合法」でもスポーツの世界では「不正」な薬物は少なくない。最近のクラブ(酒場のほう)文化は合法ドラッグの影響が強く、豪州代表ワラビーズなども「試合後の楽しみ方」について対策に乗り出した

 スポーツ選手がつい手を出すドラッグには、①「プレーのパフォーマンスを伸ばす」②「リラックスなどリクリエーションのため」の2種類が存在する。

 いずれもスポーツの観点からは不正であり、プロ化にともない激しい試合の連続する昨今の傾向としては、「疲れた身を癒す(つもりの)」後者の蔓延が危惧されている。

 フランスのベルナルド・レポルト監督は、同選手の2次検査を待たずに決断した理由を語っている。
 「ラグビーのスピリットを守るためだ。一流のスポーツ選手は若い人たちの手本になる務めがある」

 ラグビー界におけるドラッグ使用(ドーピング)で考えさせられることがある。
 ハードなコンタクトをともなう競技にあって、「強くなりたい」という純粋な動機と、そのための努力が、いつしか「不正」へ結びつきかねない。その怖さだ。

 いわゆる「サプリメント」と呼ばれる栄養補助剤を飲む。合法であれば、それは「努力」かもしれない。しかし、すでに「自然ではないカタチで体を鍛える」という落し穴に足をとられかけている。オリンピックで、コンマ何秒を競うような種目ならともかく、たとえば高校生のラグビー選手にとって本当に必要か。よく考えてみるべきだ。

 その先の先に「こんどは気持ちを休めたい」という願望が芽生え、今回のようなケースへ発展しかねない。

 かつて柔道のシドニー五輪100㌔級金メダリスト、井上康生にインタビューした。次の意見が印象に残った。
「最近は高校生でもサプリメントがどうのこうのなんて。あれ、怖いですよ。僕なんか、試合前、敵に勝つのカツ丼でしたもん。そのほうが強い」

 最高の柔道家は、また、次のようなことも言うのだった。
 合理的・科学的トレーニング、メンタルのケアー、最新の栄養学は、「世界の頂点を競う」いまの自分くらいの段階にこそ求められる。たとえば高校生は、最新器具のトレーニングより、ひたすら腕立て伏せや懸垂に励み、猛稽古を続けて、食べたいものを自然に思い切り食べたほうが強い…。

 以前、大学ラグビー部のコーチをした時、こんな思い出がある。
 厳しく長い夏合宿の際にも、学生がカツの衣をはがして食べる。スポーツ選手として、「理論的」には正しい。しかし、落ち着いて、よくよく現実を考え抜くと正しくない。

 年間の練習計画はスポーツ医学の観点も考慮して組み立てられていた。しかし、あえて夏合宿だけは「非合理の強さ」を追求する方針だった。つまり、そもそも、午前、午後、強度のある練習を2週間も続けることは「正常な状態」ではありえない。

 もちろん、非合理の是非は議論の対象ではある。ただ、現実に、肉体はよれよれだ。
 やや乱暴に書けば、こくのある脂身をがんがん食べて元気がついた気になるなら、それも別の科学だ。たとえば年齢を重ねた社会人の選手が、普段の生活において「カツの衣をはがす」のは絶対に間違っていない。だが、20歳の若者の夏合宿期間中は必ずしもそうでないだろう。

 やや主題をそれたけれど、体の入念なケアーが「自然」でなくなった時、不正薬物使用の魔界は思ったより近くまで迫っている。あるいは、「霊能力」だとか「波動」だとか、あやしげな治療にすがったりもする。これも危険である。どんなに神秘的な治療師でも、ぼっきり折れた腕を瞬時にくっつけた例はないのだ。

 日本のラグビー界は、薬物使用、ドーピング対策について、より真剣に取り組まなくてはならない。仮に、近い過去の大会で、選手の陽性反応が出たとする。それが、もし、うっかり飲んだ風邪薬のせいであったとしても、その事実は明らかにされなくてはならない。握りつぶして未来はありえない。ワールドカップなど世界の規範では、同じことがあれば公表されうる。そして、その不注意のケースを挙げて、指導者や若い選手を啓蒙していく。 
 若者の素直な努力や意欲が、邪の道へつながっては、あまりにも悲劇だ。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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