第24回「先輩について」
藤島 大
先輩を持てた人間は幸せだと思う。あの「先輩・後輩」の先輩である。
たとえばニュージーランドに、フランスに、イタリアに「センパイ」の概念は薄い。
よく、在日外国人「ジャーナリスト」が、「おかしな日本野球」という文脈で引っ張り出すのも「ただ年齢や年次が上というだけで優位に立つセンパイ」と「年長者の前では思考停止に陥るコウハイ」のおもしろおかしい例だ。
かつて神戸製鋼にいたイアン・ウィリアムスも著書の『IN TOUCH』で、日本流センパイ・コウハイの様子を、異国情緒をかもす効果を考えて、誇張気味に書いていた。
つまり、いささか「日本的旧弊」として分の悪い「先輩」なのであるが、ここは日本なのだから簡単にはなくならない。本コラム筆者も、また、読者のみなさんと同じように、窮屈な「上下関係」の不得手な者のひとりである。はっきり申せば「威張るやつ」は、この世で二番目に嫌いだ(いちばんについては、いずれ)。新聞社の新入社員の時、いやでも先輩・後輩を意識せざるをえない(一曲歌え!)所属の部の忘年旅行が苦痛で、宴会の途中、東京へ帰ってしまった。翌年、その季節に上司のデスクに呼ばれ、「お前、こういうの嫌いだよな」と、以後、免除された。
しかし、先輩とはありがたい。スポーツの現場では、しばしば痛感する。
ここが「日本的」と指摘されれば、同意するが、いったん特定の集団に属すると、しだいに、その場を愛して、続けてやってくる「後輩」が愛しくなる。打算はない。学校のラグビーなら、自分はレギュラーの可能性が低くても部に残り、後輩を育てる。あるいは卒業して、仕事に家庭に多忙であっても、せっせとグラウンドへ通い「そこにいる人間」のすべてに見返りを求めぬ愛情を注ぐ。なんとか、うまくしようと何時間も個人練習に付き合う。この過程で、へんてこりんな特訓、思考をやめた上意下達という事態の発生はありうる。それは、そのチームのコーチングの問題だ。そもそもの指導方針・指導法が間違っているのである。「ダメなコーチならいないほうがまし」の実例でもある。
打算なき指導。これが、案外、難しいのである。プロフェッショナルの「経済効率」をはみ出たところにも可能性はある。へたくそで、たまたま自分と同じ学校のクラブに入ってきた人間に、ただただ無私の愛を注ぐと、思わぬ成長を遂げる。そういう分野は確かに存在するし、これからもあったほうがいい。
ことしの初め、サッカー報道の最長老、敬愛する賀川浩さんに「なぜ、よきストライカーがなかなか出てこないのか」という主題でインタビューした。賀川さんは言った。
「その人間と差し違える。全身全霊を傾けて、こいつらを育ててやろう。そういう気風というのは、どうしても学校に強い。いまラグビーと野球の一部に残ってますね。Jリーグにはない。プロは情をかけたら首斬れないんやから」
そして稀代のストライカー、釜本邦茂について続けた。
「そのつどの監督や先輩によって仕込まれた。日本代表の選手は最高の芸術家という観点に立てば、個人教育は当然やね。システムばっかりやっとっても生まれないんやから」
その釜本さんも言った。
「いまの選手、プロやから先輩がおらんでしょう。なんか淡々としとるわな」
高校を出て、すぐにJリーグのクラブへ入る、そこには「自分の目の届かぬところの練習を嫌う」(複数のJ関係者)外国人監督が、システム習得のためのドリルと、個人の数値のみ重視した体力トレーニングを課す。1時間半の練習がすんだら、さっとワンルームマンションの自室へ帰る。その繰り返し。「淡々」の理由である。 個体差は当然でも、こうした傾向はある。
プロよりアマチュア、クラブより学校が優れていると述べたいのではない。学校と先輩も捨てたものではないと思うだけだ。この国のラグビー界にも「高校の才能は大学に進まずにトップリーグへ」の声はある。スーパー12なんか続々と若い選手が出てきたじゃないか。みんな大学でつぶれていく。
簡単には賛同できない。スーパー12構成国と比べた大学進学率の高さという社会構造を無視できない。トップリーグの各クラブでは、なかなか2軍(3軍)が機能していないのも心配だ。もうひとつ、18歳くらいで、サッカーより肉体接触の要素の強いラグビーで「おとな」とばかりプレーすると、数年は、フォロワー(追随者)に甘んじなくてはならない。大学ならリーダー(先導者)になれる。それにより学ぶことも多いと考えるのである。そして先輩の存在も。
最後に、全国の先輩諸兄、私用に後輩を使えば(いやな言葉だ)、その瞬間に本稿の前提は崩れかける。だいいち、俺のパンツ洗ってくれなんて、みっともないじゃないか。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。