第163回「スペクタクルなき名勝負」
藤島 大
退屈の先の染み入る高揚。ワールドカップ準決勝のイングランドのラグビーである。15ー16。最後の最後、最少得点差で南アフリカ代表スプリングボクスにしてやられた。準々決勝ではフィジーにあんなに苦しんだのに、優勝候補筆頭格のフランスを退けて自信満々の前回覇者を追いつめた。
さっき「イングランドのラグビー」と書いた。あれはラグビーなのか? みずからが持つボールの93パーセントを蹴った。いっぺんもラインブレイクがなかった。それは今大会を通して初めてだった。南アフリカ陣22mラインの向こうにいられたのは73秒。雨の中、手ではなく足で戦い抜いた。もちろん得点のすべてはPGとDGである。
あれはラグビーである。「我々はこれしかない」と戦法を定め、貫徹する。その貫き、徹する意志が見つめる者をしだいに引き寄せる。パスもステップもランもない。かわりに「挑戦者の計画と根性」という名のスポーツがそこに出現した。心の呪文は「迷うな。1ミリとて」である。
南アフリカは、開催国フランスを「勝てばよし」の現実主義で破ったばかりだ。いくらか微妙な判定もあった。パリのファンは「大嫌いなイングランドより、ひょっとしたら嫌いかも」なんて複雑な感情に包まれた。もとよりスプリングボクスの優勢は間違いなさそうだ。だから白いジャージィのキックばかりにも腹は立たない。
開幕前はよれよれのイングランドがまれなる立場を獲得した。いつもなら、あんなに財政や選手層に恵まれているのにつまらないラグビーをしやがって、と他国のファンに憎まれるのに、むしろ、やんわりと支持される。
筆者の友で幼少に暮らしたスコットランドを骨まで愛する人物(ということはイングランドは天敵)が翌日、つぶやいた。「まさかイングランドを応援する気持ちが自分の中にあるなんて」。スペクタクルなき名勝負のひとつの実相である。
イングランドが事を成すときは必ずロックが暴れる。この夜もそうだった。ずっと精彩を欠いていたマロ・イトジェは覚醒したかのように活力を発散、スプリングボクスの誇るエベン・エツベスをほぼ無力化した。そして22歳のジョージ・マーティンの無慈悲な衝突は、恐怖を与える大家のはずの南アフリカ人たちに恐怖に近い痛みを与えた。
高さを制し、低さ=地面に転がるボールをこれも制し、気迫で呑み込んだ。挑戦者は勝ってもよかった。でも負けた。
後半34分過ぎ。イングランドは2点リード。蹴られた球をフレディー・スチュワード、ここまで空中の競り合いにおいて英雄的な活躍のFBがひとつのバウンドで処理する。テレビ画面を凝視していた全世界(南アフリカ共和国を除く)の楕円球愛好者はつぶやく。「蹴れ。遠くへ」。なぜならスプリングボクスが左プロップにオックス・ンチェ(惑星最強のスクラメージャーの噂も)をベンチより投入以来、スクラムは劣勢だ。パントの争奪でノックオンが生じるとセットプレーになってしまう。P→逆転PGの流れがこわい。ああ、本当にこわかった。
スチュワードはなんと高いパントを上げる。しかも、いくらか蹴り損ねた。焦る。飛びつく。ノックオン。スクラム。ハンドレ・ボラードのPG成功。ひりひりとしながら、あっけなくもある結末だった。
あの緊迫の攻防で、仮に空中戦となっても、キャッチするふりして手を引っ込め、相手のミスを誘う。本能に近いレベルで冷静な判断のできるラグビー選手は限られる。ワールドカップの歴史なら1991年のデヴィッド・キャンピージ―(ワラビーズ)、99年のスティーヴン・ラーカム(同)、2003年のジョニー・ウィルキンソン(イングランド)、15年のダン・カーター(オールブラックス)のクラスだ。優勝国の中枢である。22歳のスチュワードは達人の域には達していなかった。
同じような瞬間は、リーグワンのファイナルはもちろん、全国大学選手権や花園の高校ラグビーでもいつか訪れる。そのときパニックに陥らず対処できる者は、大会のダン・カーターである。
イングランドの大善戦と残酷なフィナーレは、ラグビー観戦の奥深さをよく語った。ひとつ。対峙するチームが強大であると「キック93パーセント」のごとき偏った戦い方が光りを放つ。退屈すら頼もしく感じる。もうひとつ。極度にシンプルな方法で臨み、うまく運ぶと、最後の最後、勝ち負けは「細部」のわずかなアヤが決する。そこに引きずりこんでいるのだから成功なのだが、結局、かすかなノックオン、わずかなレフェリングの解釈により金星は消えかねない。単純が重大局面の複雑(かすか。わずか)を招く。ラグビーはうまくできている。
さてジャパン。アルゼンチンとの実力差は、日本国内の大学のリーグに置き換えれば、2位と5位の関係ではない。下位校が努力を続けて力をつけ、上位に大健闘という構図ではなく、大きくとらえると2位(1位はスプリングボクス・オールブラックス級)と3位、おおむね同格、そのうえでスコアの分の開きは確かに存在した。勝利は可能であり、少し間違えると完敗もまたありうる。
ここから先、具体的な彼我の違いをどう詰めるか。ナントの対ロス・プーマスは強化の起点となる。環境(サンウルブズをなくし敵地での国際試合の経験が限られる)改善のための協会の行動、遠回りのようで強国への近道である女子や7人制や学校を含む草の根ラグビーへの大きな支援、同時にいまそこにある現実を言い訳に用いぬ代表指導者の熱の出番だ。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。