コラム「友情と尊敬」

第164回「人生の花園」 藤島 大

この季節、花園の全国高校ラグビー大会の開幕が近づくと列島の悔し泣きを思う。
直接、現場で眺めた「惜しい」は11月12日の東京第二地区ファイナル。充実をうたわれた國學院久我山が目黒学院に敗れた。

12-15。狭いのに大河の幅のスコアだ。花園優勝はともに過去5度。1979年度、82年度には決勝で優勝旗を競った。そんな歴史は接戦をもたらす。そこまではわかっていた。

それでも紺のジャージィの久我山が競り勝つと読んだ。少し前に早稲田実業(第一地区の花園出場校)との合同練習を目撃したからだ。スクラムを押しまくる。今季の早実のセットプレーの伸長を知っていたので、こいつはたくましいや、と感じた。アタック&ディフェンスでは、タッチラインの外の指示はいたって静かで、選手がフィールドにおけるリーダーシップを発揮した。もとより東京のチームとしては経験や能力における俊秀が集う。

対目黒学院。その強さ、というより、そのよさがあるから、ナンバー8のブルースネオル・ロケティ(近い将来に日本代表スコッドに呼ばれそうな逸材)の爆発力に加え、共同キャプテンでロックの中村つぐ希(見事な統率力!)を先頭に結束も固く、うまく攻守を進める相手の圧力に崩れない。

ただし、そのよさ、具体的には選手の自発的な態度や偏りのないオープンな攻撃スタイルを身につけているので、3点を追う残り20分、さらに終了の笛が刻々と迫っても、平常心を保とうと普段通りを貫いた。正しい。もし逆転に成功したら大いに称えられる。しかし目黒学院としたら、いくらか防御の的を絞りやすかった。

またも、またもや高校ラグビーとは残酷だ。よく磨いた美徳がゲーム展開によっては白星を遠ざける。

久我山の主将、CTBの長谷川裕太の黙々と繰り返すタックル、焦りに抗う落ち着いた態度をいまも思い出す。立派だ。

國學院大學久我山高校ラグビー部の3年生にあらためて例の故事成語を届けたい。

人間万事塞翁が馬
馬が逃げ、その馬はよき馬を連れて戻り、よき馬に乗った息子が落ちて骨を折ると、負傷のおかげで戦闘参加を免れ死なずにすんだ。
人の一生の幸不幸など予測不能なり。

負けてよかったとは絶対に書けない。勝つべきだった。長き好敵手のチーム力をもしかしたら読み違えたかもしれない。悔いよ、とことん。花園の芝に立てば、きっと飛躍を遂げた。殻は破れそうだった。しかし。しかし。「塞翁が馬」もまた間違いない。

11月23日の長崎県予選。長崎南山と長崎北陽台の決勝は26-26。どちらもゆずらなかった。抽選で前者が出場権を得る。新人戦は南山が21-10。春の大会は同じく19-12。北陽台がひたひたと差を詰めて、なお南山は、しぶとい相手が頭を超すのをすれすれで抑えた。しびれる。

北陽台の決勝での先発に3年は4人のみ。プロップの齋藤剛希主将の尽力を想像しよう。たたみかけ、追いつかれたドロー。負けちゃあいない。引いた紙によいことが記されてなかっただけだ。逃げた運が逃げない運を連れて戻るさ。幸、降り注げ。

目標に届かず、泣いて、砕けるくらい奥歯を噛んで、鼻水も垂れて、絶望にさいなまれ、やがて、いや、しばらく先に、いやいや、うんとうんと遠くのことかも、ともかく、いずれ悟る日は訪れる。「勝ち負けだけがラグビーではない」と。はじめから「勝ち負けだけがラグビーではない」と考えた者には到達できぬ境地だ。

勝ちたくて勝ちたくて、花園での歓喜をめざし、こんなにも努力を積んで、でも対戦校が優れていたら敗れる。敗れなくともクジで道を断たれる。そんな経験を経た人間にのみ「負けて学ぶ=負けぬための実感」という人生の花園が待っているのだ。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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