コラム「友情と尊敬」

第33回「シンビンに慣れるな」 藤島 大

アイルランドのダブリンでサッカー関連の取材をしてからロンドンへ回った。
いつも思うのだが、たとえば英国のスポーツには「ブーム」がない。もちろんラグビーのイングランド代表がワールドカップを制したなら人気と注目は増し、ブームと呼ばれることもある。ただし、そこに日本で用いるところの「ブーム」のあやうい気配はない。
いい試合に観客と報道が殺到するのは当然でも、相手が一流でなければそれなりに扱われる。なんでもかんでもスタジアムは満員とはならない(それではロックのコンサートと同じだ)。反対に人気沸騰でなくとも本当に価値のある試合には観客が足を運び、しかるべき報道がなされる。きれいごとばかりでないにせよ全般にそんな印象がある。

かつて日本のラグビーにも「ブーム」があった。1980年代後半などは、関東大学のジュニア選手権ですら大きく扱われた。当時、日本大学の指導をしていたニュージーランド人のコーチは試合内容の感想を問う取材陣(それは、まさに『陣』だった)に言った。
「それより2軍の試合にこんなにプレスがやってくるのが驚きだ」
そんな時代もあったのです。

さてロンドンの新聞にこんな見出しがあった。
「警察、ラグビーにクリーンなイメージを求める」(『The Male on Sunday 』)
なんとなく穏やかでない。

‐‐警察は、ラグビー界によりクリーンな規律を求める。現在のラグビーは、今シーズンのサッカー界を傷つけた暴力の泥沼のような危険領域に近づこうとしている‐‐

レスターとサラセンズの試合で、マーティン・ジョンソンとマーティン・コリーという「元」と「現」のイングランド代表キャプテンが、それぞれ暴力行為でシンビンと退場処分を受けたこともきっかけとなり、6月の警察での会議の議題にのぼることが決まった。

以下、記事の主旨はこうだ。
「ラグビーが人気競技である現在こそ、伝統的な選手のよきふるまいは強調されなくてはならない。シンビンが日常化しては一触即発のスポーツになってしまう。一般に、選手の模範的態度は、観客の行動と若者の将来に前向きなインパクトを与える」

ラグビーよ、お前もか。そんなふうな内容である。
かつてラグビーの試合で退場になることは「大事件」だった。オールブラックスの英雄、コリン・ミーズは、67年、敵地マレイ・フィールドでのスコットランド戦で退場となる。球と人間を一緒に蹴ったような行為だった。当時の規範でも「ぎりぎり」と議論を呼んだ。ひどく悪質ではなかった。それでもミーズは評伝でそのときの気持ちを述懐している。
「すべては終わりだ。なにもかも、おしまいだ。」
ひとりグラウンドを去る姿の写真は現在でも有名である。

ましてグラウンドを離れたところでの不祥事は重大だった。
72年、遠征のオールブラックスのプロップ、キース・マードックは、ウェールズのカーディフのホテルで警備の従業員ともめてパンチを見舞った。
即刻、帰国処分。そこまではわかる。しかし、マードックは母国ニュージーランドへ戻らず、そのままオーストラリアの「アウトバック」と呼ばれる内陸の奥地へ消えた。その後、公の発言とかつての仲間との親交を一切断ち、都市部から遠く離れた土地で暮らしている。最近になって殺人被害者に最後に面会した人物として名前が報道された。その人生はミステリアスだ。「あのカーディフの事件がなければシャイで魅力のあるラグビー人として生きただろう」は衆目の一致するところである。きっと彼は恥じた。いたたまれなくなった。それほど「ラグビーの規律」は高い場所にあったのである。

いま退場すら日常の光景と化している。イングランドの警察に指摘されるまでもなくラグビーの抱える深刻な問題である。

Jスポーツで前出のレスター対サラセンズの解説をした。あの荒れた試合でも、レフェリーは「性善説」に立っていた。そこにラグビーの価値は残されている。
勢い余って空中の相手に当たる。レフェリーはそれが故意で悪質か、偶然の要素が関わっているのかを考慮しようとする。ラグビー選手は根本で悪いことはしない。それが前提だ。サッカーなら杓子定規に「レッド」だ。「性悪説」に傾いているからだと思う。 

昨シーズン。日本国内の一部のレフェリーに「性悪説」の傾向が芽生えるのを感じた。それは、まずい。なにより選手と指導者、それにファンとジャーナリズムも「退場は大事件」の位置に戻ることが大切だ。そしてレフェリーはカードに頼らず選手とラグビーを尊敬し続けるべきである。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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