コラム「友情と尊敬」

第168回「合同・不惑・青山学院」 藤島 大

6月22日の午後。スズキスポーツの顧問、鈴木次男さんが77歳で急に世を去った。残念でならぬ。この人がいたから、このコラムを書き始めた。いなくなっても、また書こう。本稿をもって再開したい。

9月28日。札幌の月寒ラグビー場。花園の北北海道大会で合同チームが花園に手をかけた。羽幌・富良野・芦別の3校で構成される旭川・空知合同と遠軽高校は17-17のドロー、トライ数ほかも並んだのでともに頂点に立った。抽選で遠軽の全国大会出場が決まった。

その場にいて、いざ抽選となり、用意された部屋から両キャプテンが出てきた瞬間、どちらが、よいほうを引き当てたのかがまったくわからなかった。控室で待つ者に報告に向かっても、わずかな歓声も聞こえてこない。

しばしの時間を経て外へ出てくる。白状すると、泣きじゃくる遠軽が「出場ならず」かと思った。結果は逆だった。白を基調に3校のカラーのあしらわれたジャージィの合同チームはむしろ毅然を保った。敬意と矜持。ラグビーの美しい感情だ。

合同。手元の古い広辞苑を引くと「二つ以上のものを一つにすること」とある。羽幌・富良野・芦別はひとつになった。それも「重なる」や「合わさる」でなく「溶ける」感じ。試合前の雰囲気など格別によくまとまった集団にしか見えなかった。

準決勝後の新聞記事によると「芦別―羽幌間が直線距離で約101キロ、車で約3時間」(スポーツ報知)。なんというのか東京暮らしの身には「合同」の地理的隔たりではない。まさに北海道の底力だろう。

「月1回の練習と夏合宿で一緒に練習できたのは十数回」(同)でここまでの結束を実現した。指導陣の情熱なしにはありえぬ。さらには人生の命題を教えてくれる。すなわち、人と人を近づけるのは物理的距離ではなく意識。

キックオフ前。道協会関係者に「合同の15番、注目してください。スノーボードの有望選手で足腰が柔かい」と教えられた。なるほど苫米地愁(羽幌高校)は柔かなランで盛り上がるスタンドをさらにわかせた。なにより楽しそうにプレーするのがよい。中学3年で全日本選手権スロースロープ5位入賞。ようこそ、こらの国へ。

ブルーのジャージィの遠軽にはしっかり仕込まれたモールというよりどころがあった。敵陣ゴール前で組む機会を得ればスコアをものにできた。

同日の南北海道のファイナルにおける札幌山の手高校がそうだった。函館ラ・サール高校の執拗なタックルを浴びても、反則を誘えば得点に結びつけられる。

函館ラ・サールは前に激しく出る防御(両CTBの大村珊俐と三浦遼大!)や理詰めの展開を身につけた。春先よりはうんと成長している。ただしサイズに劣るので、ひとつずつの攻防に力を尽くさなくては対抗できない。わずかなノットロールアウエーで陣地を失ってリズムに乗れなかった。

札幌山の手は、やっかいな速攻にあえて付き合わず、ほどよい待ちのディフェンスで呼び込んで、ロックのタレマイトガウルイラケバが2度、3度とターンオーバーに成功、これで流れをつかんだ。力関係では、みずからが緩んだときが危ない。そうはならぬように対策をしっかり練って33-7の白星を引き寄せた。フッカーの古谷飛翔主将と部員たちは立派だった。

その夜。ラグビーの目利きである若き友のメールが届いた。福岡ー京都ー東京で楕円球を追いかけ、目の前を動く物体に突き刺さってきた男だ。

「ラ・サールの1番の竹ケ原君、物凄いタックルしますね」

3年の左プロップ、竹ケ原大輝。お墨つきです。ぜひ高いところをめざしてください。もうひとり。フッカーの杉立健一郎。この人、地球でいちばんプレースキックの上手な背番号2ではあるまいか。要注目。

快晴の札幌の5日前には連休最終日の盛岡にいた。岩手飯岡駅下車のいわぎんスタジアムでの「第50回東北不惑大会」。いわき、山形、仙台、秋田、青森、岩手の40代~90歳までの「昔の若人」が集った。

そこに展開されるのはおもに「1980年代のラグビー」である。FWはフィールドに広く散ろうとせず、昔の表現なら「8人が1枚の毛布にくるまれたような」塊で動く。バックスはひとつの攻撃機会で抜き去ってやろうと仕掛ける。意図的ラックを好まない。なんとか、パスを放ろうとする。

ひとつ。やけに懐かしくて、だが現在も有効と思われるスキルを発見した。

岩手不惑の第3列、61歳の舘澤繁信は、静止からのいきなりの加速と小刻みな足の運びで何度も突破する。大切なのは直後だ。両手のボールをようやく片側のみに移して、うしろを駆け上がるチームメイトへ渡す。

そのときの手首の角度が、髭のこわもてと異なり、なんとも柔かい。薄い布を静かにさわるようなタッチで、てのひらを駆け寄る同僚のほうへ向けて、優しく置くみたいに懐へ届ける。

あー、あのころのうまいFWはそうだったなあ。パーンとサイドをついて、カシャカシャとタックルをかわし、そーっとつなぐ。パスでなく、オフロードでもなく、剛→柔→次のサポート、動→静→次のサポート。いまもきっといける。

9月29日。東京の外苑前。秩父宮ラグビー場に青山学院大学が笑い、うれし涙も同時に流した。31年ぶりに筑波大学を破る。30ー22の大成果だ。

CTBの河村凌馬主将の球を抱えての迷いなき前進は、ランであってランでなく、クラッシュにしてクラッシュとも違い、なんというか「キャプテン」というスキル、いや現象だった。

使命が意思となり身体を強靭とさせる。科学で非科学。国際シーンやプロのリーグに比べれば狭く、ちっぽけな世界が若者を深く磨き、上へ上へと伸ばす。結果をわかって映像再生を繰り返しても、まだ熱を帯びている。

これだから学生ラグビーはおもしろい。いまのは間違い。これだからラグビーはおもしろい。最後に。北北海道大会優勝の羽幌・富良野・芦別合同チームの青春に幸あれ。今夜は上富良野産のホップでこしらえた麦酒で乾杯だな。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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