コラム「友情と尊敬」

第169回「2024年秋のカマラデリィー」 藤島 大

上州のからっ風。と、深く考えずに口にしそうになって、あれは冬の話だよなあ、と思いとどまった。10月20日。群馬県太田市の競技場に秋の風がしきりに吹く。

今季すでに2敗の慶應義塾大学が帝京大学に挑んだ。おおかたの見立てを裏切り、突風に高く舞ってみせよう。そんな気持ちの張りは開始直後に伝わってきた。

前へ出る防御。ミスさえなければトライも可能なアタック。悪くはなかった。だが帝京のたくましいランナーに半歩、一歩と低いヒットがはじかれる。崩しかけた連続攻撃のつなぎに小さな落球はつきまとった。

19ー57。完敗だろう。もっとも悲観よりは手前の攻守でもあった。放送解説をしながら、既視感に襲われた。うん、どこかで見たチームと試合だと。前回のコラムで紹介の函館ラ・サール高校。その札幌山の手高校との南北海道決勝に似ていた。しっかり準備をして、体を張り、よく球を動かし、うまくゲインもできて、されど優れた個によるターンオーバーで得点機を逃がす。接点での抵抗を意識する分、各種反則との境界を小さく踏み越え、あっけなく大きな失点へと直結した。

帝京は、黒黄ジャージィがしつこくしたたかに向かってくるからこそ、余計な欲や迷いにからめとられることなく、我が道を突き進んだ。スクラムと当たりの重さでPを奪い、敵陣深くに侵入する。勝手に解釈すると「相手がどんなによいチームだろうと、いや、よいチームであればあるほど、簡潔を貫く」。あの午後の札幌山の手高校も同種の心構えであったはずだ。

猛突進の真紅の6番、青木恵斗主将の勝利後の一言がよかった。「コンタクトの基準を示すのは自分」。いかにも学生ラグビーのリーダーという感じがする。

でっかい的があるので挑戦者の力は磨かれ、その奮闘が昨年度覇者の潜在力をさらに引き出す。帝京と慶應は激しくぶつかり合いながら、根源において相手を必要とする。異なる集団は同じ世界の住人なのだ。

ラグビーの現場でしばしば用いられる「カマラデリィー(Camaraderie)=共通の経験にもとづく友情。共感ゆえの同士意識」の意味をあらためて確かめられた。「勝った負けた」のそれぞれの感情に「この相手がいてよかった」という敬意はすでに棲んでいる。

帝京と慶應の選手たちは、すぐに肩を組み、どんどん親しくなるわけではあるまい。もとよりシーズンの途中だ。カマラデリィーは「うわべの交流」とは違う。仮に一生会話することがなくたって、ラグビーならではの友情は成立するのだ。

本連載コラムの第1回の主題は「カマラデリィー」であった。これで第169回。歳月を重ねて、プロ化の進行でいくらか形式化したとしても、いまだ命を保っている。ベストを尽くそうと努力をやめない「敵」と「敵」は、不正や傲慢と無縁であれば、とっくに友である。

加えて、このごろわかるのは、競技歴のないファンのカマラデリィーの強さだ。「あなたもラグビーがお好きですか」と判明した瞬間、ひとまず目の前の人を嫌いにはなれない。

プレー経験がないのだから、土を転がるギルバートのボールに飛びついた結果の切り傷、そいつのこじらせ具合はわからない。100㎏級の巨漢が全力疾走でこちらに駆けてくる恐怖がわからない。せっかくメンバーに選ばれそうな公式戦を前に股関節がぐりぐりと痛くなるもどかしさをわからない。高々と舞うハイパントをひとり待ち構える背番号15の孤独もわからない。

しかし。ラグビーを追いかけて見つめれば、痛みも、痛さをともした人間と人間に流れるカマラデリィーも想像できるようになる。それはもはや観念ではない。グラウンドより湧き上がる実感なのである。かくしてファンとファンのあいだを親愛の情がつなぐ。楕円の国にすでに住民票は移っている。

小学生の試合をたまたま近所で目にしたとしよう。観戦歴を積めば、そこにある8歳の子どもの緊張や恐怖を乗り越えたときの誇らしさをつかまえられる。やがて名も無き学童がジャパンの勇士ほどにまぶしく映るようになる。

本物のレフェリーはワールドカップ決勝と小学生の親善試合を等しく敬う。よきコーチはわかっている。リッチー・モウンガと小学3年の少女少年は、どちらも勇敢でありたいと胸に期していると。

帝京ー慶應の終了後、太田より浅草へ。「りょうもう号」の車中、携帯端末に知人のメールが飛び込んできた。東京都第一地区準々決勝。都立青山高校、東京朝鮮中高級学校に7ー8で敗れる。「最後の1分、PG」。ついで岩手県決勝の報告も。本命の黒沢尻工業高校が盛岡工業高校に20-21で負けた。5月26日の春季大会のファイナルでは69ー7の圧勝だった。「春は10トライ差が短期で逆転。ドラマよりもドラマ」。たちまち睡魔が吹き飛んだ。

青山。東京朝鮮。黒工。盛工。ひとときの絶望と歓喜。その感情の深いところにカマラデリィーの種はつく。すると終わったはずの青春が100歳まで続く。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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