第170回「大阪体育大学」
藤島 大
誰が呼んだか「ヘラクレス軍団」。昔、関西に屈強で快活な若者の並ぶラグビーのチームが出現した。
大阪体育大学。1989年度。全国選手権準決勝で早稲田大学とぶつかった。白黒フープのバーバリアンズ柄のジャージィは正月の国立競技場を愚直な腕力で悲鳴の器とさせた。
木村賢一、仲川和男、高橋一彰のフロントローを先頭にギリシア神話の巨大な神よろしくスクラムを押し、モールで前進する。後半36分までリードしながら12-19で惜しくも散った。
後年の名将、清宮克幸主将の率いる早稲田は結果として決勝で日本体育大学を大差で退けた(45-14)ので、まさに栄冠の旗にあと一歩のところだった。
古い試合を思い出したのはなぜか。先日、大阪の花園予選の放送解説をしたからだ。
第3地区の常翔学園高校は近畿大学附属高校を55-19で破った。2大会ぶり42度目の出場。今季就任の白木繁之監督は「選手たちも緊張していたと思うんですけど、体を当てるところで負けないようにとやってきたので、そこで緊張がほぐれた」と緊張のほぐれぬ表情で教え子の緊張の推移を語った。
実直な個性が伝わってくる。ちなみに決勝の前、会場をうろうろして複数の協会関係者にその人柄について聞くと「ええやつです」と言葉が重なった。きっと、そうなのだ。いいやつが現場を託される。すなわち青春の幸福だろう。
36歳の白木監督は大阪体育大学、以下略称で、大体大を母校とする。常翔学園へ改称前の大阪工業大学高校卒業後に体育教員を志して進路を定めた。
解説のために調べたら次の事実が浮かんだ。大学同期の伊達圭太(敬称略、以下同)、山本健太、田仲祐矢は教員となっている。それぞれ徳島城東高校の監督、大阪桐蔭高校のコーチ兼部長、沖縄の名護高校の監督。来月開幕の花園にはそろって出場権をつかんだ。学生のころは白黒ジャージィをまとい13番白木、15番伊達(旧姓・鎌田)、12番山本、7番田仲で公式戦に臨んだこともある。
現在の大体大は高みに届く成績を残せていない。今季も関西のBリーグ所属だ。しかし、こうして、よき指導者(きっと、よき教員)が輩出した。この一点において1968年創部のクラブが日本のラグビー界にとって大切な存在であるとわかる。
1977年。元日本代表で往年の国際的WTB、坂田好弘が監督に就任する。ニュージーランド修業時代にカンタベリー代表で大暴れ。かの国には「サカタ」という競走馬まで現れた(1着が15回、2着が22回)。自伝『心で見る』(ベースボール・マガジン社)にチームづくりの道のりの記述が見つかる。
「ならば、伝統校や才能のある選手を集めた大学に勝つために、シンプルにラグビーの真理を追求するのみである」
高校生はどうしても関東の強豪や関西でもより歴史のある大学に惹かれる。「ならば」どうするか。結論は「大型フォワードを前面に出した真っ向勝負」。これは昔も昔、大昔、先を走る慶應や早稲田をにらんだ明治大学の北島忠治監督の決断と同じだ。永遠の呪文は「まっすぐ」。遅れてきた者のひとつの正解である。
のちに国際ラグビー殿堂入りの「世界のサカタ」は、かくして、無名であろうと初心者であろうと体格のよい高校生に声をかけて鍛え上げた。同書には大切な一節がある。
「将来、体育の教師になってラグビー部を指導しようという確固たる目的を持つ志の高い選手は着実に成長してくれた」
学窓を巣立ったあとの職業が18歳にしてくっきり見える。すなわち生き方も想像できる。いま自分が浴するコーチングやティーチングはたとえば10年後、みずからがどこかで行なうかもしれない。「あのころのわたし」のような少年少女にいつかラグビーを教える。その日のためにも本日の練習がある。
なるほど「将来の体育教師」とは、よきラグビー部員なのだ。体育大学をめぐる背景や環境が動き、以前ほど教職とは直結しないとしても、やはり強化や勝負の力となりうる。
大体大に限らない。日本体育大学や筑波大学の競技経験者は楕円の細胞のごとく列島の教育現場に散らばる。個人的にも広島大学教育学部や鹿屋体育大学の卒業生の名指導者を知っている。そこにラグビー部があって、純粋な「志」は各地の教官室やグラウンドへ向かい、社会はふくよかになった。
さて、ナンバー8の堀田凌永主将が統率する2024年の大阪体育大学ラグビー部は関西B1リーグで5戦全勝(不戦勝含む)の首位だ。2次トーナメントを経て順当ならば、12月14日に天理の親里でAリーグ8位/7位との入替戦に挑む。
ファイナル。あの1990年の1月2日、大観衆の国立競技場で赤黒ジャージィを向こうにこれでもかと体を張った4番、大阪府立河南高校出身、土井正明先輩のごとく全身を鉄球とせよ。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。