第171回「目黒と目黒学院の話」
藤島 大
花園の季節。それを主題にコラムを。もっとも内容は決まっていない。ひとまず音楽をかけよう。
本日は『九州のおばあさん』。あがた森魚の知られざる名曲だ。「街の本屋に/夏休み特別号/ようやく届く頃」。ここのところの歌詞がたまらない。このアーティストの卒業した函館ラ・サール高校が花園初出場を決めた2015年度、ラグビーマガジン付録の出場校ガイドの「ラグビー部以外のおもな出身者」欄に「あがた」がくるかと期待したら、そうはならなかった。
いつしかキーボードにアイデアの滴が垂れる。「目黒」。東京第1地区代表の目黒学院高校を書こう。今回はBシードだ。怪物がまじめで気のよい仲間たちを高みに導き、結束のよいその仲間たちが怪物をさらに高みへ押し上げる。そんなイメージ。
ナンバー8にブルースネオル・ロケティを擁する。前回は新入生にして際立つアタック能力を披露、学年を積んで大舞台での活躍はなかば約束されている。22mラインの向こうに侵入さえすれば、加速の鋭さや重くて柔かな当たりでスコアをものにできる。勇姿に接するたびに「13歳でハーバード大学に飛び級で入学」というような早熟の才能を思い出す。
トンガ出身の突破役がいるから強くなった。間違いではない。ただ仮に不在でも筋の通ったチームだ。このあたりは天理大学や京都産業大学ともいくらか重なる。両校とも確たる独自性、努力の歳月に培われた文化があり、そこに留学生の決定力が加味され、関東列強と伍すようになった。
目黒学院について記したり、放送解説をしたりすると、どうしても「学院」とつく前、ずいぶん昔の目黒高校の驚異かつ特異なラグビーを想起してしまう。
いまを生きる現場の指導者や選手は「またか」とあるいは感じるかもしれない。ご容赦を。1968年に花園初出場で準優勝、翌年からの10年で5度の優勝は歴代5位。あの「目黒の時代」は、ここは正直に類のない指導者の毀誉褒貶を含み、なお語り継がれるべきなのである。
当時の梅木恒明監督(故人)はもはや死語のごとき「スパルタ」の実践者であった。1973年度の3度目の全国制覇にまつわる記事にこうある。「授業前に2時間、放課後4時間の一日計6時間の猛練習」「年間230試合以上にものぼった試合経験」(『花園の記憶』ベースボール・マガジン社)。平和な空気は流れていなかった。
ただし目黒のゲーム運びは印象と異なり洗練されていた。力攻めをしない。軽快かつ効率よくポンポンとトライを奪う。そのときはとても言語化できなかったが、いま考えると、ちょっと昨今の「ポッド」システムにも似ている。常軌を逸した猛練習により無尽のスタミナを身につけているのに無駄には走らない。ポジションに素早く散ってスペースやインゴールを攻め落とした。「非合理」のもたらす「合理」。あらためて13シーズンで9度決勝進出の特大の実績もうなずけた。
1980年。梅木監督が「目黒はまるでプロだ」とのヒソヒソ話にラグビーマガジンで反駁している。
「そこでプロらしくやろうと」
論理の展開は以下の通り。そもそも(当時は)ラグビーにプロは存在しない。であるならプロ的ということは、どこよりもだれよりも努力するアマチュアにほかならない。
1984年のはずである。東京の郊外のスポーツ施設。本コラム筆者は曼荼羅クラブの一員で公式戦に臨んでいた。すると、いろいろあって目黒のラグビー部を離れ、野球部の監督になっていた梅木さんが、いつの間にか、タッチラインの外から指示の声を飛ばし始めた。隣が球場でたまたまその場所にいたらしい。だれとも面識はないのに「そうじゃない。もっと左」というふうに声を張り上げる。遠慮の気配など皆無。やはり普通の人間じゃなかった。
時は流れ、控えめに述べても梅木式の半分は、もはや許されない。現在の目黒学院は強化の方法において過去とは切り離されている。2017年度に就任の竹内圭介監督(コーチとしては03年より)がひとつひとつ段階を踏んできた。
それでも「あの突き抜けた勝負魂」は熾火(おきび)のようにクラブの芯に残る。なんて想像するのも、スポーツ鑑賞のおもしろさのひとつだ。
2024年春。全国選抜大会。目黒学院は1回戦で東福岡高校を28-24で破る。2回戦はしぶとい天理高校に7-3と競り勝てた。準々決勝の対桐蔭学園は0-36の完敗だった。それぞれのスコアとそこへと至る攻防は飛躍の発動機のガソリンだろう。定評のひたむきなタックルをターンオーバーにつなげられるかに注目したい。
おしまいに個人的な「ウメキ体験」を。大学3年。ラグビー部の定例ミ―ティングで大西鐵之祐監督がこう部員に話した。
「目黒の梅木監督のやり方の悪口を言う連中は、その目黒に勝てないやつばかりだ。そんな人間になるな。勝ってから、もの申すんだ」
他の内容はとっくに忘れたのに、ここだけはずっと覚えている。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。