コラム「友情と尊敬」

第174回「そこからは伸びるだけ」 藤島 大

元Jリーガーが早明戦や全国大学選手権決勝に出た。ウソでホント。かつて早稲田大学ラグビー部にあって新人のときにAから数えて10番目のJチームの一員であった無名部員は、奮闘努力のかいもあり4年でめでたく1軍に選ばれ、公共放送で全国中継される公式戦のジャージィをまとった。

ざっと30年前の話である。10軍が対外的に稼働しているわけではなかったが、SHやCTBやフランカーなどポジションによっては、週ごとに発表されるメンバー表のそこに名は記された。
 
のちに本人が「最初はJリーガーだったもんなあ」とつぶやくのを聞いた。テレビ画面の息子の姿を見て、母は言った。「あなた、こんなことをやっていたの」。汚れたジャージィを持ち帰るのでラグビーを続けているのはわかっていたものの、そんなレベルとは想像していなかったらしい。さまざまな角度でいい話だ。

2025年4月20日。早稲田大学と大東文化大学の「C」のゲームを観戦した。粗削りであったり発展途上ゆえ、むしろくっきりと両校の色は示された。60-14。Wの勝利。前者は組織と覇気で攻め守る。後者は突然の解放されたようなランに威力と魅力があった。

ひとり早稲田にその高校時代を知るFWがいた。たまにコーチをしたのだ。あのころは下半身に粘りのあるWTB、大学の途中でプロップに回った。しかも右側だ。

重い相手に対してスクラムは優勢に映った。ポジション初心者の努力を想像した。かかわりがなければ素通りしたはずだが、世間の注目と縁のない3軍戦にはきっと同じようなストーリーがいくつも存在している。

BでもDでもFでも。いまよりはうまく、強くなれる。もちろん簡単に力を認められるはずもない。仮にあなたが6番志望で、そこにヴェルブリッツおよびスプリングボクスのピーターステフ・デュトイ級の逸材(身長2mで永遠に走りまくる)が入ってきたら、無限の精進とて報われるかは不明だ。もがく。あえぐ。悩む。たまに笑う。それでよし。悪くない青春だ。

Cの試合。Aと比べて、ひとりひとりの体力やスピードに劣るというよりも、ここまでの大学ラグビー生活で自信をつかめていないので、目の前の出来事をおのれの配下におけない。たとえばリスタートの捕球ミスが発生したときに、失敗をこちらから「どれどれ。どうした。さて、どう解決しよう」と見つめる感じにならない。自然現象に巻き込まれたみたいに感覚だけで対処、したがって、もういっぺん同じあやまちを繰り返す。

一般論ではパスのキャッチングもしかり。きたボールを捕るな!ボールをこさせろ!本コラムの筆者はコーチのころによく叫んだ。いまも叫ぶ。放る側は「欲しくてたまらない人間」にだけパスを通す。「欲しがっていない人間」にはシステムが求めても渡さない。15人がそうなら、落球やパスの乱れはうんと減る。

ここにコーチングの命題は浮かぶ。
①自信がないから「きたボールを捕る」。
②自信があるから「ボールをこさせる」。
 ふたつのあいだを埋めるのが指導者の務めだ。

あらためて自信とは。「自分の能力や価値を確信していること」(広辞苑第二版補訂版)。ラグビーのコーチング、ことに学校のレベルにおいて重要なのは「能力」ではなく「価値」のほうである。
 
スポーツの才能には差がある。みんながイーグルスの田村優のごときパスやキックはできない。しかし、ひとりひとりが「自分の価値を確信」できるところまではコーチが連れて行かなくてはならない。

ニュージーランド女子代表で東京五輪金メダリスト、アスリートの枠を超えて広く支持されるルビー・トゥイは、傑作自伝の『ストレート・アップ』(阿辻香子訳、サウザンブックス社)において、よきリーダー像をこう述べている。

「そこにいる全員が自分自身になれる安全な環境を提供できる人」

コーチなら噛みしめたい言葉だ。ラグビーのスキルの巧拙と無関係に「その人らしさ」を肯定する。わたしがわたしらしくあることをとがめられず、冷笑もされない。そうした「安全な環境」をつくるのは、クラブの努力目標ではなく義務なのだと思う。

高く飛ぶ球をつかむのが不得手な者が「自分自身」であれたら、リスタートのたびにうまくキャッチできるか。甘くはない。ただ「自分の価値」を認められなければ、どのみち捕れないし、そもそもその試合に出場していない。

ルビー・トゥイはこうも記す。

「もしあなたがチームの中で一番下手だと感じたら、そこからは必然的に伸びるしかないので、実はギフトなのだ」

プレーヤーとしてそのことに気づけたので成功できた。そしてコーチとは、そうとは気づいていない選手にも「一番下手=あとはよくなるだけ」と伝え、世界の一流と心構えにおいては同じ境地へと近づける仕事なのだ。

春のラグビーは未来のためにある。早稲田Cー大東文化C。交替を含めて上井草グラウンドの芝の上の30人はひとり残らず、君の考える君よりも本当はラグビーをもっともっとよくできる。うらやましい。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

過去のコラム